2013年11月22日金曜日

和訳:不当な敗北と、相応な勝利の違い


指導者として、どうすればLeague of Legendsの個人スキルを上達させられるのかと問われることは多い。この質問は簡単なこと(「Leeでジャングルするならルーンは何にすべき?」)から相当難しいもの(「botレーンをgankする最適なタイミングはいつ?」)、まで多岐に渡り、そのひどさに苦笑せざるをえないようなもの(「topをやると毎試合0/5なんだけど、こういう時は何をすればいい?」)まで多岐に渡る。

ご想像のように、「Elo Hell」についてのトピック全てを私はたびたびきちんと扱っている。このため、自分が「Elo Hell」にいると理解している人たちのため、何本か適切な動画を作成し(以下に私の作った「5ステップでElo Hell脱出」の動画を挙げておく)、こういった人々がいなくなるまで、私はこういったことをし続けるのだろうなと思う──つまり、私がこの仕事をやめることはないということだ。




正直に言おう。Elo Hellで詰まっている人たちについて、私は批判的だ。Elo Hellが存在するかは疑わしく思うし(少なくとも多くの人が言うような定義ではないと思う)、プレイヤー個人が改善を心がけることで克服できるものだとも思っている。Elo Hellはダニング=クルーガー効果で完全にすっきり説明できる。そして、そのものが悪循環を作り出す──Leagueを昇格することができないが、自分の腕は十分に昇格に足ると信じているから、不満が溜まり、上達できない、昇格できない、でも自分の腕は十分に昇格に足ると信じているから……その繰り返しだ。

多くの「Elo Hell」は大局観、考え方、姿勢から来るものだ。この3つは、このゲームをプレイする時に一プレイヤーとして自分が上達できるかできないかを決定するもので、さらに言えば、「Elo Hell」にはまってしまうかどうかを決めるものでもある。ここで私が説明したい考え方とは、タイトルにあるように、自分に見合わない敗北と、自分に見合った勝利の違いだ。


「こんな負けは不当だ」

試合後のロビーとか、Youtubeへのコメントとか、メッセージとかで私に送られてきた話で、「こんな負けは不当だ」という言葉はサハラ砂漠の砂粒よりもありふれたものだ。
このような態度は、(アメリカにおいて)左ハンドルの車を運転するようにありふれたものだが、間違っている。実際には、不本意にして「Elo Hell」にはまってしまう直接的な原因なのだ。私がなぜこのように言うのか、そして「こんな負けは不当だ」が敗北の言い訳となぜ不的確のかには、いくつかの理由がある。

第一に、このような態度は完全に、徹底的に間違った大局観に基づいているということだ。試合終了時に、敗北に納得できないのであれば原因について自問すべきではない──勝利に納得できるのであれば、自問すべきだ。これを読んでいる一部の人々は、少し困惑しているかもしれない。「それは同じことじゃないのか? 負けなければ勝つし、勝てば負けない。何をこいつは長々と喋るつもりなんだ?」私の意見は、(レイトゲームで確実にキャリーするであろう、恐るべきlanerでない限り)レーンで互角なだけでは不十分ということだ。単にフィードしないというだけではない。捕まらないというだけでもない。他人よりも優位を取るべきであり、他人のミスを見逃さず仕掛けることであり、効果的になるべきである。どっちつかずの要素でいるだけではいけない──プラスの要素になるべきなのだ。

次に、「こんな負けは不当だ」という文章は、言った当人を被害者に仕立て上げてしまう。ゲームに関与していないことを吐露しているようなものだ──当人の行動とは対照的に、試合の結果が他人の行動から決定されているということなのだ。(多かれ少なかれ)他の人々が自分のコントロールの外にいて、彼らの行動が敗北の原因になっているのであれば、つまり自分では何もできていないということではないかな?違う? 自分自身を犠牲者に仕立てると、簡単に「Elo Hell」に浸かりきってしまう。なぜなら、全ての敗北の原因は自分の側ではなく、外部要因のせいにしてしまうからだ。「自分は勝利に相応しかったか?」と問うことで、視点を自分自身と自分の行動に戻すことができる。試合の結果は自分が何をしたか次第であって、自分のチームメイトが何をしたかでは決まらない。

そして最後に、前述したことと多少関連することなのだが、試合の結果について外部要因で言い訳をした時、自分自身での上達の道は閉ざされる。負けに納得がいかないと言った場合、つまりそれは下手くそな味方がいなければ自分は勝てたという意味だが、それは自分自身が完璧か、些細なミスしかしなかったかということになる。勝つために自分ができたことは何だったのかと問う代わりに、批判を受け入れ、将来それができるように改善すべきことを見つめよう。ファームはよくできたか? 敵をdenyできたか? レーンで対面をやっつけるだけではなく、もっとローミングすべきだったか? 正しい方法で戦ったか? 良いコールで効果的に自チームを率いることはできたか?

このゲームには、2種類ののミスがあるように思われる。CSを逃したり、レーンで死んだりするような明確でありふれたミス。そして思い返してみるとチャンスを失ったと思うようなミス、つまり自分ができた/すべきであったがしなかったこと、自チームに有利をもたらしたであろうことがそれに当たる。こういったチャンスを逸したことを嘆くのは簡単で、そう、本当は(そんなものは)存在しない。Elo Hellにいると信じている人々の多くは、なぜ負け続けているのか理解する機会を失っていると、私は考えている。


「勝つためには自分が全ての試合を支配する必要はない」

Solo queueでの私の意見は前述した通り、完全に明白だ。ただ勝つだけのために試合を支配することを期待されるのは不公平だ、とする人々もいる。結びの言葉として、私はこの意見に物申したいと思う。

平均的なプレイは負けて当然というつもりもないが──だが同様に、勝てて当然というつもりもない。毎試合、自チームにfeederがいるのは不公平だと主張する人々。これに対して私が言うのは、敵チームにfeederがいなければ、そういう人たちは十分に試合を支配できないだろう、ということだ。上手くプレイし、敵を痛めつけることで、敵にfeedを強いることができるのだ。ほとんどのfeederは生まれながらなのではなく、作られるのだ──強い対戦相手によって。そんな強い対戦相手になるべし。そうすればチームのマイナスしか作り出せないお荷物ではなくなり、十分なプラスを作り出せるだろう。毎試合勝つのは不可能だが、取り組む姿勢を変えることで、もっと上手なプレイヤーへの道は開かれるものだ。

それは仕方のないことだが、ただ勝てたからというだけで、中身のないやみくもなプレイをしないことだ。月並みであることと、マイナスの影響をチームに及ぼさないことは、確かに大事故を避ける処方箋ではあるが、次のtierに上がれる処方箋ではないのだ。




著者について

はYoutubeで最も知名度のあるDiamond Jungler(http://www.youtube.com/user/foxdropLoL)。このシリーズ記事は、LoLに関連したトピックに関する彼の意見を広め、彼の考えと純粋な教育上の要素を混ぜ合わせたものだ。TwitterとFacebookで彼をフォローすることもできる(@foxdroplol)。


原文
Cloth5 | The Difference Between Not Deserving to Lose and Deserving to Win by foxdrop

※この翻訳記事は、Cloth5.comさまの許諾のもとに翻訳しています。
※この翻訳記事の無断転載は原著の著作権侵害になりますので、ご遠慮ください。